JOEY CARBONE - Utapedia

JOEY CARBONE

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JOEY CARBONE(1983.02.22~)は、アメリカ合衆国・ニューヨーク出身の音楽プロデューサー・作曲家・編曲家・キーボーディストである。東京スクールオブミュージック専門学校渋谷・講師。


目次

  1. 概説
  2. 提供作品
  3. Co-ordination作品
  4. 注釈
  5. 参考資料
  6. 外部サイト・SNS

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概説

アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン地区のイタリア系の家系に誕生する。

5歳の時、カトリック修道女からピアノを学び始める。

13歳の時、幼馴染で音楽プロデューサーのRichie Zitoととバンド活動を行い、ヴォーカルとベースを担当。

16歳の時、NYの大手レコード会社・Atlantic Recordsとバンド契約を結ぶ。ヒットに恵まれなかったものの、レコード会社で郵便仕分けのアルバイトを始めた際、有名ミュージシャン達の録音風景を目にしたことで、音楽制作に興味を抱く。

その後、キーボーディストとして、多くのミュージシャンのサポートに従事。また、オーディション番組「Star Search」の音楽スタッフとして9年間携わる。

1982年、Zitoとプロデュースした歌手・John O'banionが、東京音楽祭に招待されたことを機に来日。日本の仕事を増やしたいと考え、外国人アーティストのプロモーターとして著名な永島達司に手配を依頼する。

1983年、映画『里見八犬伝』のサウンドトラックを担当。O'banionが歌唱する主題歌の作詞・作曲も務める。

1983年、矢沢永吉のバックバンドにキーボーディストとして参加する。

1984年、Zitoと共に、Teri DeSarioの2ndシングル「Overnight Success」を作詞・作曲。ソニーのカセットテープのCMソングとして大ヒットする。

1985年、ホンダのスクーターのCMソング「DJ in My Life」を制作。同年にシブがき隊がカバーシングルをリリースしたことを機に、当時のジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川と知り合う。以後、少年隊をはじめ、旧・ジャニーズ楽曲を多数手掛けるようになる。

現在は、月光恵亮のプロデュースや、ジャニーズ・ハロー!プロジェクトへの楽曲提供等、日本での活動に重きを置いている。

avexやソニーレコードのアドバイザーの他、東京スクールオブミュージック専門学校渋谷の講師も務める。

音楽プロデューサー・STEVEN LEEのJ-POP参入を手助けしており、彼の作品のSong Co-ordinationを手掛けることが多い。


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提供作品

※ 特記以外は全て作曲/共作は★

関ジャニ∞

  • 「Water Drop」[★]

タッキー&翼

  • 「epilogue」

KAT-TUN

  • 「MOON」[★]

Hey! Say! JUMP

  • 「Score」[★]

A.B.C-Z

  • 「Twinkle Twinkle A.B.C-Z」[1]

King & Prince


Co-ordination作品

Sexy Zone

KAT-TUN

  • 「SADISTIC LOVE」
  • 「NEIRO」
  • 「MOON」

Hey! Say! JUMP

  • 「Thank You~僕たちから君へ~」
  • 「「ありがとう」~世界のどこにいても~

Kis-My-Ft2

  • 「Black & White」

注釈

  1. ^ 作詞・作曲/共作
  2. ^ 共作詞・作曲

参考資料

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