概説
14歳の時、ギターを手にしたことがきっかけで作曲を開始。当時の日本はフォークの全盛期で、和声的に乏しい日本の音楽に物足りなさを感じ、カーペンターズ、ビートルズ、エルトン・ジョン等のポップス系アーティストに傾倒する。
高校生の時、ジャズレコードレーベル「CTI」やそのサブレーベル「KUDU」等のジャズソウルを聴き始める。これが現在の作風に大きく影響を与える。
1987年、3人組音楽ユニット「PAZZ」のメンバーとして、西脇辰弥、藤原美穂と共にCBS/SONY(現・Sony Music Records)でデビュー。だが、1987年のアルバムリリース直前の藤原氏の脱退、後任の女性ヴォーカルの素行不良、岩田氏のライブ活動拒否でプロモーションが行き詰まり、アルバム1枚、シングル1枚、ミニアルバム1枚を発売して1988年に解散する。
解散後、フジパシフィック音楽出版(現・フジパシフィックミュージック)と作家契約し、ribbon、郷ひろみ、宮沢りえ、小比類巻かほるに楽曲提供。アイドル全盛期だったことを受け、CoCo「はんぶん不思議」やribbon「サイレントサマー」等の楽曲を多く提供する。また、所属出版社がフジ・メディア・ホールディングスの連結子会社だったことから、フジテレビの番組の楽曲の編曲を多数行う。
1994年、フジパシフィック音楽出版を退社。以後、少年隊、SMAP、KinKi Kids、V6、嵐、テゴマス等の旧・ジャニーズへの楽曲提供や、米倉利紀や中西圭三等のコーラスアレンジを手掛ける。この時期ニューヨークで、フュージョン系のミュージシャンを起用したレコーディングを行う。
1995年、シングル「Nobody loves me like my baby」を発表する。
2000年、ビクターエンタテインメントより、ソロアルバム「Something left unsaid」を発表する。
現在は、作曲、編曲、プロデュース、一人多重録音によるコーラスアレンジを中心に活動している。デジタル録音環境の進化もあり、自宅スタジオでの創作活動を中心としながら、次世代の才能発掘にも注力している。
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提供作品
- 「ソミソミラシラ」
- 「愛と勇気とチェリーパイ」[★]
- 「helpless」
- 「アレルギー」[★]
- 「Theme of ARASHI」[1]
- 「君は少しも悪くない」[★]
- 「君はいないから」
- 「パレット」[★]
- 「JAM」
- 「Thank you for my days」[★]
- 「チェックのマフラー」
- 「Overture」[★]
- 「風見鶏」
- 「Secret Eyes」
- 「超2ありがとう」
- 「Carry on」[★]
- 「Dive into the future」
- 「Life goes on」[★]
- 「Speedy Wonder」[★]
SMAP
- 「俺たちに明日はある」[★]
テゴマス
- 「夏への扉」
A.B.C-Z
- 「Move that body」
Chorus作品
※ 共同Chorusは★
- 「Easy Crazy Break Down」[★]
- 「君は少しも悪くない」
- 「君はいないから」
- 「星のFreeWay」
- 「とまどいながら」
- 「Waking in the rain」
- 「パレット」
- 「できるだけ」
- 「15th Moon」[★]
- 「Overture」[★]
- 「風見鶏」
- 「Carry on」
- 「Dive into the future」[★]
- 「Life goes on」[★]
- 「大阪ロマネスク」
- 「F・T・O」
- 「果テナキ空」
- 「Speedy Wonder」
- 「旅の涯には」
- 「ギガマジメ我ファイト」
- 「One's Shadow」[★]
テゴマス
- 「夏への扉」
A.B.C-Z
- 「Move that body」
注釈
- ^ 共作詞・共作曲・編曲