岩田雅之 - Utapedia

岩田雅之

必ず他のサイトと比較して下さい

岩田雅之(いわた・まさゆき)(1960.09.12~)は、日本・愛知県出身の編曲家・作曲家・ヴォーカリストである。


目次

  1. 概説
  2. 提供作品
  3. Chorus作品
  4. 注釈
  5. 外部サイト・SNS

スポンサーリンク


概説

14歳の時、ギターを手にしたことがきっかけで作曲を開始。当時の日本はフォークの全盛期で、和声的に乏しい日本の音楽に物足りなさを感じ、カーペンターズ、ビートルズ、エルトン・ジョン等のポップス系アーティストに傾倒する。

高校生の時、ジャズレコードレーベル「CTI」やそのサブレーベル「KUDU」等のジャズソウルを聴き始める。これが現在の作風に大きく影響を与える。

1987年、3人組音楽ユニット「PAZZ」のメンバーとして、西脇辰弥、藤原美穂と共にCBS/SONY(現・Sony Music Records)でデビュー。だが、1987年のアルバムリリース直前の藤原氏の脱退、後任の女性ヴォーカルの素行不良、岩田氏のライブ活動拒否でプロモーションが行き詰まり、アルバム1枚、シングル1枚、ミニアルバム1枚を発売して1988年に解散する。

解散後、フジパシフィック音楽出版(現・フジパシフィックミュージック)と作家契約し、ribbon、郷ひろみ、宮沢りえ、小比類巻かほるに楽曲提供。アイドル全盛期だったことを受け、CoCo「はんぶん不思議」やribbon「サイレントサマー」等の楽曲を多く提供する。また、所属出版社がフジ・メディア・ホールディングスの連結子会社だったことから、フジテレビの番組の楽曲の編曲を多数行う。

1994年、フジパシフィック音楽出版を退社。以後、少年隊、SMAP、KinKi Kids、V6、嵐、テゴマス等の旧・ジャニーズへの楽曲提供や、米倉利紀や中西圭三等のコーラスアレンジを手掛ける。この時期ニューヨークで、フュージョン系のミュージシャンを起用したレコーディングを行う。

1995年、シングル「Nobody loves me like my baby」を発表する。

2000年、ビクターエンタテインメントより、ソロアルバム「Something left unsaid」を発表する。

現在は、作曲、編曲、プロデュース、一人多重録音によるコーラスアレンジを中心に活動している。デジタル録音環境の進化もあり、自宅スタジオでの創作活動を中心としながら、次世代の才能発掘にも注力している。


スポンサーリンク


提供作品

※ 特記以外は全て編曲/作曲・編曲は★

渡り廊下走り隊7

関ジャニ∞

  • 「Speedy Wonder」[★]

Sexy Zone

SMAP

  • 「俺たちに明日はある」[★]

V6

テゴマス

  • 「夏への扉」

A.B.C-Z

  • 「Move that body」

Chorus作品

※ 全てChorus Arrangement & Chorus
※ 共同Chorusは★

関ジャニ∞

  • 「大阪ロマネスク」
  • 「F・T・O」
  • 「果テナキ空」
  • 「Speedy Wonder」
  • 「旅の涯には」
  • 「ギガマジメ我ファイト」
  • 「One's Shadow」[★]

Sexy Zone

V6

テゴマス

  • 「夏への扉」

A.B.C-Z

  • 「Move that body」

King & Prince


注釈

  1. ^ 共作詞・共作曲・編曲

外部サイト・SNS


サイト内検索

このHPは

本HPは、作曲家・作詞家・編曲家・演奏者・曲情報をまとめたサイトです。

また、編曲クレジットのある音楽番組の披露楽曲情報もまとめています。

全ての情報をまとめることは出来かねますので、予めご了承下さい。

自分のペースでゆるりと運営していますので、何卒宜しくお願い致します。


カテゴリー